■老いることは不幸なことですか?
・・・お年寄りの望む生活と幸せを知る・・・
お話:横内正利先生
誰でも年をとると体の自由がきかなくなったり、物忘れをしたりで、いずれは人の手を借りないと生きていけなくなります。それは不幸なことでしょうか。
「いえいえ、多くのお年寄りはいくつもの葛藤を乗り越えた末に、満足して日々の生活を暮らしているんですよ。いわば人生の達人です。学ぶべきことがたくさんあります」
こう語るのは、長年、老人医療の現場でさまざまなお年寄りに接してきた横内正利先生です。老いを迎えるための心構えと、介護する側の基本的心得をお話しいただきました。
◆本人編◆
老いを受け入れることは、新たな生きがいを見いだす出発点
『今の自分が本当の自分
』
老化は、ある日突然足腰が立たなくなるようなことではなく、実にゆっくりと段階を踏んで進行していくものです。例えば、大好きな旅行に行こうにも、だんだん体力が追いつかなくなり、自宅のまわりを散歩するのがやっとになる。しばらくすると炊事が面倒になり、失敗も多くなる。そのうち洗濯や買い物ができなくなり、人の手を借りることに。やがて、入浴や移動のための介護が必要になる、といったふうにです。
お年寄りは、その段階その段階で現実の自分の姿を認め、自分自身で受け入れていかなくてはなりません。それは苦しみを伴うことです。そのため、周囲に八つ当たりしたり、失敗を人のせいにしたり、時に周囲の人の目には理不尽に映るほどの行動に出ることもあります。それも時間が解決してくれます。人により、3ヵ月から1年余で落ち着くものです。
「こうなったらこうなったで、まあ仕方がないか。今の自分が本当の自分なんだから、現状のなかで生きがいを見いだそう」という気持ちになれたら、元の穏やかな表情に戻り、食事もおいしくとれるようになります。
ですから、元気な私たちが考えるよりも、お年寄りは自分のことを不幸だとは思っていないのです。多くのお年寄りは、満足して日々の生活を暮らしています。老いを受け入れたお年寄りの視点と、まだ元気な私たちの視点とは違うことを、まず知っておかなければなりません。
『
過去の自分を引きずらない
』
なかには、いつまでも現実の自分に満足できずに、元気だった頃の自分を引きずっているお年寄りもいます。「ああだったのに、こうだったのに」と、失ったものばかりに固執していると、不安やイライラがつのり、心の平穏は訪れません。
このような人は、私が今までみたところ、それまで挫折感を味わったことがなく、周囲からいつも注目され、人の上に立っていた勝気な女性に多いように思います。「過去」の自分とはきっぱり訣別する勇気を持ちたいものです。
お年寄りの「未来」は、病気、認知症、寝たきり、自分や親しい人の死など、不安だらけといえます。そうした不安も、過去と訣別できないでいるお年寄りのほうが、より強いようです。こういった場合は、精神科の医師に相談してみるのもよいでしよう。案外、気持ちが落ち着くことがあります。
老いを受け入れ「現在」を生きているお年寄りの大半は、未来に対する不安からも解放されるようです。表情がとても穏やかになります。こういうお年寄りは、生きがいを見つけるのも上手です。
◆介護編◆
お年寄りが望むことを援助するのが、本当の介護
『介護の主役はお年寄り』
自立ができなくなって、人の手を借りているお年寄りに対して、自立を強いるのは矛盾した行為です。「人に頼らず、いつまでもきちんとしたおじいさんでいてほしい」など、こちらの描いたお年寄り像を押しつけるようなこともやめましょう。
介護の原点は、お年寄りの視点に立つこと、お年寄りが望んでいることをしてあげることです。そのためには、お年寄りの日常生活や人生の歴史にも目を向け、何を望んでいるのかを考えてみることが必要でしよう。
大事なことは、介護者が満足するのではなく、お年寄りが満足できることをしてあげること。これが本当の介護です。
「寝たきりにならないように、散歩をしましょう」「塩分を減らさなきゃ。おしょうゆを使いすぎよ」「テレビばっかり見ているとぼけますよ。指を使った体操をして・・・」
よく見かける光景です。しかし、お年寄りはそれを望んでいるのでしょうか。介護する人の価値観を押しつけてはいませんか? お年寄りにとって大切なのは、未来より現在です。今を満たされた気持ちですごしたいのです。
お年寄りが満足しているかどうかは、表情から知ることができます。表情がこわばったり、いらだったり、思いがけない行動を見せたりするときは、自分の欲求が受け入れられないことへのサインだと思ってください。
『発せられるサインを見逃さない』
今を生きているということでは、認知症のお年寄りほど、見事に「今、この時」を生きている人はいません。過去とも訣別し、未来を無視し、ひたすら現在に生きる姿こそ、認知症のお年寄りが教えてくれる究極の人生訓だと、私は考えています。
認知症のお年寄りも、感情や考えていることは私たちと同じです。ただ記憶が奪われ、いろいろな能力が落ちているために、ちぐはぐな行動や話しかできなくなります。自分の能力を超えた現実に遭遇するとパニックになることもしばしばです。
ですから、やりたいと望むことをやらせてあげてください。例えば、台所でニンジンを切りたいというのなら、本人のできる範囲で切らせてあげてください。ほんの一部分でもいいのです。本人はそれで100%やったのと同じ満足感が得られますし、それが生きがいになるかもしれません。
ところが、「危ないからダメ」「おばあちゃんは、あっちヘ行ってて」「余計なことをしないでよ」の連発では、少しでも家族の役に立ちたいとの思いが無視されたと同時に、「居場所がない」と感じてしまいます。こういったことが徘徊につながることもしばしばあります。
徘徊などの問題行動は、その原因が、お年寄りのいらだちのサインに気づかなかった、こちら側にあることが多いのです。
『本人の歴史のなかから、生きがい探しを』
すべての人間にとって、生きがいは欠かすことのできないものです。お年寄りにとっても、残りの人生をいきいきと送るために不可欠です。ただ、自分で探せる人はいいのですが、探せない人もいます。
ことに認知症や寝たきりのお年寄りの場合、生きがいを求めているのに、見失っていることが多いのです。見失っている生きがいを探し出し、それを形あるものになるように援助していくことこそ、究極のケアといえるでしょう。
自立を支援していくよりも、この生きがい探しのほうがよほど大切で、意味のあることだと、私は確信しています。
お年寄りの生きがいは、その人の歴史のなかに眠っています。音楽が好きだった、絵が好きだった、家事が好きだった、生きものが好きだった・・・・・・、人によっていろいろあるはずです。生きがいといっても、大げさである必要はありません。食べることでもいい、鉢植えに水をやることでもいい、生きがいに大小はありません。欲張らず、根気よく探してみてください。
『家族だけで抱え込まない』
家庭での介護の多くは、5年、10年と、長期化しています。その間、お年寄りと介護者の関係が良好で、お互いに心身ともに無理のない状況が続いていればよいのですが、そうでない場合、無理をしながらがんばるのは、お互いのためになりません。少し気持ちに余裕があるうちに、施設などの利用も考えてみてはいかがでしょう。双方の信頼関係が破綻してからでは、空しさと無念さが残ることになります。
保健同人社発行
『お達者で』平成11年11月号より、全文(画像含む)転載
<<戻る
ご利用上の注意
個人情報の取り扱いについて
サイトマップ
Copyright BONSEJOUR VARIE CORPORATION. All rights Reserved.