■第348回一橋大学開放講座「広がる福祉の民営化」
一橋記念講堂においての講演です。一橋記念講堂は、関東大震災の前まで校舎があった千代田区一橋にあります。
一橋大学開放講座とは、一橋大学が、同窓会の協賛を得て、年に6回、一般市民に対して開いているものです。テーマは、そのときどきの経済情勢をみて決められます。講師は、一橋大学の教官、卒業生が担当します。
◆序文
今、もっとも成長しているのが有料老人ホームです。この2年間で2倍に増えました。
2年前まではどうだったのでしょうか。今と同じで急ピッチで高齢化は進むし、老いた親と子供との別居は増えるばかりでした。けれど実際は、バブルが崩壊して市場は伸び悩んだのです。
それが介護保険が始まると、公的保険のお陰で介護費をほとんど払わなくて済み、大幅に割安となりました。一方、事業者にとっても、保険収入が確保されて経営が安定しました。そのため爆発的に増えたのです。
世の中全体は、どうなっているのでしょうか。バブルが崩壊してから、民間の消費はまったく振いません。景気が底割れしないようにと、中央政府と地方政府は数百兆円も国債や地方債を発行して、無理に無理を重ねて公共工事で有効需要を作り出しています。
世の中が不況だからといって、消費者は、高いものは控えて安いものを買うというものではありません。消費行動とは安ければいい、というものでもありません。事実、バブルのときはまったく逆でした。高額な商品ほどよく売れると言われたものでした。私の経営するホームでも高い部屋から売れていきました。
皆さんも聞いたことがあると思いますが、価格の最後に1つゼロを足して桁を1つ増やしたほうが商品はよりたくさん売れる、といったおかしな話までありました。消費者に「高級品」にみせるには、「高価格品」にすればよい、と事業者は考えているからです。
裏からみれば、消費者はもともと商品知識が乏しいということです。後で述べますが、商品知識が乏しいということは、数千万円という有料老人ホームの場合、深刻な消費者被害を繰り返すことになっています。
今は、技術革新によって新しい商品がなかなか世に出てこない時代です。そして不況です。こういうときは、既存の商品を販売側が値引きして、初めて売れる数が増えるのです。マクドナルドのハンバーガーが1個80円まで下がり、牛丼が280円となりました。
つまり商品とは、高いものが敬遠されて安いものが売れるということではありません。割安になったということが、ポイントなのです。不況とはいいながらも、高額なものがよく売れています。お値打ち品が割安となって売れるのです。押すな押すなのバーゲン会場には安物は少ないのです。
お値打ち品の有料老人ホームも2年前からとても安くなりました。こうして今では、全国に700ぐらいの有料老人ホームがあります。
700「ぐらい」というのは、ホームを開設するには都道府県に届け出る義務があるにもかかわらず、行政指導を経営者が嫌って、届け出ないホームが多いので正確な数が分からないからです。有料老人ホームとして届け出ると、「寮母や看護婦の人数を十分に配置すること」「介護居室の広さは個室で13平米以上のこと」などの指導を受けることになります。もっとも、指導を拒否するホームもかなり多いのですが。
◆1 失業対策に有料老人ホームは効果大
有料老人ホームは平均すれば売上の約6割が人件費です。したがって、雇用吸収力は抜群です。
同じく新興商品であり、成長力がものすごいと言われるカーナビや携帯でも合わせて精々3〜4兆円の市場規模で打ち止めではないのでしょうか。しかも技術の塊ですから、雇用吸収力は小さい。
その点、有料老人ホームの場合、近い将来に2〜3兆円規模になったら、日本全体の安定雇用にかなり貢献するものと思います。
安くて、生地も縫製も優れているという「ユニクロ衣料」現象とは、質がよくて安価な商品が日本市場を駆逐して、失業率を高めてしまうことです。
こうした心配は、有料老人ホームにはありません。
いろいろな産業が人件費の安価な中国に工場を移設して、そこから日本に逆輸入しています。今期は、上場会社の利益はV字カーブで黒字に転換すると期待されていますが、それは国内での大量リストラによるものです。ですから企業の利益が回復しても、失業率は構造的に高止まりします。雇用を犠牲にして、企業の生き残り戦略が実を結ぶということです。
しかしながら、有料老人ホームは違います。介護というのは、介護サービスを受ける消費者がいて、その場所に同時に、サービスを提供する寮母や看護婦がいて初めて成り立つからです。
とすると、介護というものが輸入できないサービスというならば、お年寄りのほうから、物価の安い海外へ出て行って生活すればいい。東南アジアへ行けば、月に18万円の年金で豪華な暮らしができて、お釣りもくるというものです。月に2〜3万円の給料を払えば看護婦を個人で雇えることができるようです。
だけどそれは理屈であって、体力も気力も衰えた高齢者が、言葉の分からない海外へ移住できるものではありません。それに東南アジア諸国には介護保険はありません。
◆2 最大の成長産業はシルバービジネス
今、75歳以上の高齢者は800万人。過去20年で倍増しました。2020年には1600万人になります。
増え続ける高齢者は、施設での介護を望むでしょう。というのも、介護保険が始まって2年が経ってようやく分かったことですが、家の外からくる訪問介護サービスを受けながらでは、自宅で生活を続けることはとても無理だと国民は知りました。いくら1日に2回もホームヘルパーが来てくれても、自宅で生活を続けるには、常にそばにいてくれる家族の手厚い介護が欠かせないのです。子供にとって、いわゆる「地獄の家族介護」を数年も10数年も続けるのは相当の負担です。
高度経済成長の時代には「家つき、カーつき、ババぬき」と言われたものです。「ババ」ですから、元気で口のうるさい姑を指していました。
今は給料が下がる時代。年収500万円の仕事をみつけることは困難な時代です。若い女性からみると「住宅ローンなし、共働き、親ぬき」ということなのでしょうか。夫婦の目標は、借金なしで収入を安定させることに尽きるでしょう。老親を介護していては共働きはとても不可能です。
となると有料老人ホームは市場も、雇用も、無限に広がっていくといっても過言ではありません。大都会に住む高齢者の7割は持ち家です。
それを売却して、自分のお金で、有料老人ホームに入ってほしいというのが、財政破綻に直面している政府の切実な気持ちだと思います。
私は16年間、有料老人ホームを経営してきました。全産業のなかに有料老人ホームを位置付けてみると、その特徴は一言でいえば技術進歩が全くないことです。
霞ヶ関の超高層ビルをインテリジェント化するために300億円もかけて改修した、というニュースがありました。私の経営するホームは本館が建築して23年ですが、そんな大規模修繕は全く必要ありません。8年に1回、屋根と外壁をきちんと補修しています。
有料老人ホームとは、入居者にとって仕事場ではなくて生活の場ですから、建物や設備は何ら変わりません。ただ10年ぐらい前から、新しく入居してくる方は椅子の生活を好み、和室の部屋を敬遠するようになりました。そこで、お客様がお亡くなりになった後は、お部屋の内装を新しいものに取り替えるときには、ついでに畳をカーペットに変更しています。
私は、この一橋大学を卒業してから10年間、三菱銀行に勤務しました。調査部と情報開発部に7年いて、重要な取引先を一社一社きめ細かく信用調査をしたり業務支援をしていました。
バブルが始まってから、銀行が貸し込んだこともあって、企業は一気に不動産投資へ走りましたが、それまでは技術開発が大企業の主な競争手段でした。当時は「企業の寿命は30年」といわれ、企業を延命させるためには、多角化が中長期の経営目標となっていました。多角化する先は、半導体や医薬品などの研究開発型の先端技術分野が多かったです。
私は多くの大企業を調査してきましたが、まことに栄枯盛衰が世の習いです。せっかく開発した技術でもすぐに陳腐となります。技術とは一瞬なのです。世界中を相手にしての開発競争です。
考えてみれば当たり前ですが、博奕と同じで、勝ち続けることは無理というものです。
私の担当先に三菱レイヨンという会社がありましたが、レイヨン(人絹)は作っていません。和菓子のように老舗といって、小さく長く家業を守ることもありますが、歴史のある大企業はどこも変化を遂げてきました。
ただし、企業は事業内容を替えて存続する、というのは一面的というか短絡的な見方です。今ある企業だけをみれば変化に成功しましたが、その裏には、より数多くの変化に敗れた企業が没落して人々の記憶から忘れ去られたのです。
バブルが崩壊して数年も経つと、大企業は次々と赤字の多角化分野から撤退していきました。
今では「選択と集中」が経営目標となりました。しかし所詮、本業に専念しても技術開発の競争ですから、経営基盤が不安定であることは何ら変わるものではありません。当時「エクセレントカンパニー」という本がベストセラーでしたが、そこに載っている世界的企業は技術変化についていけず、今では大半がその地位を失いました。
それに比べて、老後のお世話という当社の業務は不変です。
◆3 インターネットで顧客を募集
日常業務が技術とは無縁の存在であるとはいっても、最先端のところもあります。
当社はインターネットで顧客を募集しています。たしかにインターネットは世界中の消費者に商品情報を届けられます。他の手段に比べれば、宣伝コストは企業にとってゼロに近い。そうはいっても実際のところは、皆様ご存じの通りで消費者相手のインターネット事業は世界的に成功していません。
当社がホームページを立ち上げて最初に便利に役立ったのは、専門職を募集するときでした。その職種の専門誌の職員募集欄に、当社のホームページのアドレスを載せれば応募がありました。わずか数行の広告でよかったのです。それに対し、とても分厚い会社案内パンフレットを作って、しかもあちこちへ配り回るのは、当社にはコストがかかりすぎて無理です。インターネットは、情報面において、大企業も零細企業も競争条件を公平にします。
同じ理由で、今では多くの医療機関がホームページを持っています。日本の医療機関は規制によって株式会社では経営できず、多額の資金を調達することができません。そのため、津々浦々に中小零細な医療機関が地場産業として経営されています。
千葉県の患者が神奈川県の有名な病院まで通うということは無理というものです。患者は体力が落ちていますから、地元の医療機関を利用するのが理にかなっています。
そうした事情を考えてみれば、資本の調達に有利な株式会社組織を用いて、とくに病院を経営する必要性は少ないのです。
さて、このように社員の採用にインターネットが威力を発揮することは、一般産業の大企業とて同じことです。今や一橋大学の学生にとっても就職活動にホームページは欠かせません。
しかし、本来の目的である消費者への販売面において、成功しているインターネット事業者はほとんどいません。見事に成功したのは「楽天」です。「アマゾン・ドット・コム」も最近ようやく書籍の販売で黒字に転換したようです。
すなわち、インターネットで消費者が商品を買ってくれるのは、金額の小さいものに限られるということです。現に大型タンカーから宇宙開発まで手掛けていた総合商社が、今や、一人の客が数百円の商品しか買わないコンビニに出資して、自らの子会社にして、インターネットとの結合に全力をかける時代です。商品を手渡し、代金を受け取る場所としてコンビニは最も適しています。
有料老人ホームである当社は、入居金が2〜3千万円です。こんな超高額な商品がインターネットでいったい営業活動ができるのでしょうか。
答えは、「できる」のです。現に顧客を募集しています。論より証拠。当社のホームページを見てくれれば、理由が分かります。www.green-tokyo.comです。
◆4 シルバー産業は玉石混合
有料老人ホームとは、消費者が必要としている情報がとてつもなく大量なのです。その情報のいくつかは常に新しいものに入れ替えていかねばなりません。例えば、「介護の質」の決め手は職員の人数によりますが、その人数は増えたり減ったりしますから、半年や1年に1回は最新の情報に入れ替えねばなりません。
もう一つの理由は、有料老人ホームを取り巻く法体系が次々と変化するからです。
2年前に「介護保険法」が実施されて、入居者は月々支払う利用料金が大幅に減りました。
それだけではありません。介護保険法とは、それまでの市町村による行政「措置」を、利用者と事業者との直接「契約」へ置き換えました。福祉の世界は一変してしまいました。市民は自由に福祉事業者を選べるようになったのです。そして市民は事業者と契約書を交わすのです。それが介護保険です。当社もまた、入居者が要介護となって介護サービスを提供することになったら、入居時に交わした「入居契約書」に加えて、新たに「介護の契約書」も一人ひとりの入居者と交わすことになりました。
問題は、繰り返しますが、「介護の契約書」とは、健康な入居者が入居して数年後に介護を要することになってから、取り交わすことです。そのように介護保険法は定めています。
しかし入居して数年後に、入居者が劣悪な契約書を初めて見せられて「こんな介護条件ではイヤだ、出る」といっても入居金はほとんど戻ってきませんので、ホームから出られません。後の祭りで、泣き寝入りせざるをえないということです。
そこで1年前に、商品知識の乏しい消費者を保護するために、「消費者契約法」が実施されました。
市場を野放しにしておけば、事業者と消費者では商品知識に100対1の開きがありますから、消費者はだまされて無駄な買い物をしてしまいます。そこで商品にかかわる重大な内容は、契約する前に、事業者は消費者に説明しておく責任を負う、というのが消費者契約法の立法精神です。入居して数年たってから必要となる「介護サービス」という最も重大な中身を隠して、有料老人ホームは消費者と入居契約をするなという警告です。
しかし、消費者契約法の立法精神を守っているホームはどれほどあるのでしょうか。消費者契約法とは、入居者が裁判に訴えて、初めて効力を発揮します。お年よりは泣き寝入りするものだ、と考えている経営者もいるのかも知れません。
「介護の契約書」とは、自社で勝手に作ってよいのです。個々の事業者ごとに内容は異なり、実にピンからキリまであります。新聞には有料老人ホームの不祥事がよく載りますが、善しあしがこれほど二極化している業界は私は他にないと思います。
さて、「介護の契約書」をどのように消費者に事前に開示するのか。当社はホームページに載せました。実に安上がりです。
同じく、介護保険法は事業者に対して、一人ひとりの要介護者ごとに、その人に合った介護計画書を作れ、と定めています。介護計画書とは、新聞によく出ている「ケアプラン」のことです。その高齢者に合った介護サービスが間違いなく提供されるように、事前に計画書を作りなさい、というのが介護保険法の立法精神です。
こうしたケアプランを作る手法もまた、個々の事業者ごとに異なるのです。パソコンに任せて、もっともらしいケアプランを簡単に作ってしまう事業者から、主治医に聞いたり家族に聞いたりして長い時間をかけて作るものまで様々です。つまり、これもまたピンキリです。当社は、当社のケアプランの特徴や長所をホームページに載せています。
以上は、氷山の一角です。さらにまた、2〜3年に1回、厚生労働省の行政指導が大きく変わるのです。それにも対応しなければなりません。
大半の有料老人ホームがホームページをもっています。ですから、そこに様々な情報を開示してくれれば、第三者機関が格付けしてくれるはずです。きちんと格付けされれば、格段により多くの消費者が、安心して市場に参加できます。
そのときは、福祉の民営化は一気に進むことでしょう。そして、政府の財政負担は激減するはずです。
ところが残念なことに、政府は既存業者の利益を尊重して情報開示を強制しませんし、多くの事業者も中身を隠して販売しようとしています。「ここに愛と安心がある」といった、具体的でない「イメージ」広告が氾濫しているのです。
ますます少子高齢化に向かう日本にとっての「小さな政府」とは、つまり福祉の民営化とは、自由放任の「市場原理主義」ではなくて、「質の確保」を事業者に強制するなどの「消費者保護」という規制なのです。
◆5 なぜ当社は事業を拡大しないのか
インターネット事業者は、なぜ当社のホームページが成功しているのか理解できないようです。同じ疑問を呈します。どれも、こんなに大量の情報を消費者が我慢して読むはずがない、という単純な疑問です。
しかし、消費者はじっくりと読んでくれます。通常、ホームページというと、アクセスする時間は深夜帯です。人々は仕事が終わってから、インターネットで夜の時間を楽しみます。ところが、当社に毎日送られてくるアクセス情報をみると、当社の場合、時間帯は日中に集中しています。多分、団塊の世代が、老親の介護をいったいどうすればいいのか、どこかにいい有料老人ホームはないか、という強い目的志向を持ってアクセスしているのでしょう。当社のホームページには遊びでアクセスする人はいないようです。
インターネットに載せるバナー広告も同じ理屈です。ネットサーファーにクリックしてもらう必要は当社には全くありません。目的のない人に用はないのです。有料老人ホームを強く探している人に当社の広告が目に付けばいいだけです。それで、ヤフーの「有料老人ホーム」のページだけに絞って、当社はバナー広告を出しています。実に安上がりです。このように、インターネットはものすごい武器ですが、まだまだ世の中は使い方を知らない、というのが私の印象です。
それから、皆さん。どこかの有料老人ホームに電話して、パンフレットを取り寄せてご覧なさい。引っ切りなしに勧誘の催促が来て閉口しますから。有料老人ホームを探している消費者は、それに懲りてホームページにアクセスするのです。これが現段階のシルバー産業の特徴です。
こんなことを話していると、皆さん不思議に思うでしょう。有料老人ホームは技術進歩もないし、ホームページで募集できる。そんなうまい商売ならば、なぜグリーン東京は事業を拡大しないのか、ということです。
実は目下、この業界はものすごい価格競争になっていて大変なのです。理由は、世の中全体の長引く不況にあります。リストラが進み、大企業は独身寮が不要となり、それを安値で手放し、改築されて有料老人ホームに大量に転換してくるからです。それが主因で、有料老人ホームは僅か2年間で倍増したのです。今後は、リゾートマンションやホテルもまた転換してくることでしょう。
当社にも、独身寮やホテルの売り案件が大量に来ました。ただ、私がそれらの設計図面をみると、鉄筋コンクリートの柱や梁は絶対に動かせませんから、お年寄りが住みやすい有料老人ホームにはどうしても改築できません。良質のホームを開設するとなると、やはりゼロから新築しなければなりません。それでは初期投資が一ホーム当たり40〜50億円と莫大となってしまい、入居金が高額になりすぎて、今の不況下では募集できません。売れないものは、建設する訳にはいきません。
要するに、それぞれ要因は異なりますが、どの産業も、どの業界も変化に変化を重ねているのです。
経営とは、あるいはリーダーシップとは、変化に対応する能力と言えるかと思います。私は34歳から経営者をしていますが、「経営とは変化である」というのが体験であり実感です。如水会員としては49歳の若輩ですが、簡単な事業など世の中にはない、と思い至っています。
陳腐な結論ですが、世間の常識を申し上げまして、つたない私の話を締めさせていただきます。本日はお忙しい中をご参加くださいまして、ありがとうございました。ご清聴を心から感謝申し上げます。どうぞ皆様、お元気で。
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